元島生

文章・音源・詩・活動・いろいろ

「抱きなさい 子を」 浜 文子

 

抱きしめなさい 子を
育児書を閉じ
子育てセミナーを欠席し

抱きしめなさい 子を
誰にも遠慮せず あなたの子を
しっかりと 抱きしめなさい

抱きしめなさい 子を
母の膝が 子供の愁い(うれい)の
すべてを除く その時代(とき)に

いつか母の膝は 子の悲しみに近づけない
日がやって来る
やがて母の手が 子の涙を拭いてやれない
日が訪れる

きっと来る その日
子が涙を拭う手に
柔らかな記憶の手が重なるように
痛む子の心が
温かな思い出の膝に包まれるように

母よ 抱きしめなさい 子を
もう何もしてやれない日のために
抱きしめる手が 子の未来に届くよう
幾度も 幾度も
抱きしめなさい

母たちよ
やがて別れる者として
あなたの子を 
しっかり胸に 抱きなさい
 
浜文子
 
 

闇にたたずむのが勇気だ

人生は何が起こるか分からない。

朝起きて、僕は何とも言えない焦燥感に襲われ、それは、なかなか抜けてくれなかった。

鬱。時折こういう気分に襲われた。

理由は分からない。横領やなんかで警察に捕まるような悪い夢を見て、それを引きずっていたかもしれない。

そういうことをしているわけではないのに、それは夢というより、追体験のようなリアルさで、ずんと心を重くした。

自分の弱さを思い知る。

もし、そういう局面に、実際に出会ったとしたら、僕は耐えられそうにないし、これから来るあらゆる苦難の時、僕は精神を壊すだろう。

強くなりたい。どのようにすれば、強くなれるだろう。とにかく強くならなければいけない。

こういうことがあると、そればかりが、大事なような気がしてくる。

 どうやれば、食いつなげられるか、危機を避けられるか、日々、先行き不安は尽きないが、それもこれも、弱さ故の思考なのだ。

 人間は強くなれるのだろうか。弱さをどう克服し得るのだろうか。酒を飲んでも、立場や肩書の鎧を着ても、心根は変わらない。どこかで逃げ続けているものだ。

 こういう時、僕をぎりぎりのところで、支えるのは、2500年前に書かれた言葉たち。古い仏典を訳したもの。人間は弱いものだ。人間の生は苦しみそのものだ。欲望や、恨み、愛さえも、それは自分を苦しめる。そういうものを捨てること。目の前のことに、ただただ誠実にあること。天国も地獄も救いもありはしない。目の前の事にただただ誠実であることを拠り所とすること。

それは、明りの世界から、急に洞窟に迷い込んで、混乱して震えている僕を、落ち着かせる。怖いのは、現実を見つめる勇気がないからだ。

闇ならば、闇を見るしかない。じっと闇にたたずむことが勇気だ。

自分を苦しめているのは、自分の中から出てくる妄念だ。

自分を整える以外に、自分を助ける方法はない。

自分を乱すのは、自分の中にある、欲望や狡さ。

それらをよく見ること。そしてそれにその都度、打ち勝つこと。

それが整えるということだ。ありのままに見つめることができるか。それが勇気だ。

 そういう言葉たちをを思い出し、ようやく、よろよろ目を開ける。闇の中に、弱い自分の姿が、じんわりと浮かんでくる。見つめるしかない。そこからしか、立ち上がれない。

 掴みたくて、こうして書いている。

2017年7月8日 正午 長野にて

正直に見つめる

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それでいい。

その気持ちを言語化することが、大事と思う。

行くか行かないかは、あまり問題でない。

そんなことは、どうにでもなる。

自分がどう思っているか。

その事を正直に見つめてほしいと思う。

その事を話せる関係でありたいと思う。

僕も、自分を正直に見つめたい。

そう思っていると、正直に伝えてみたい。

太陽はおなかの中

今日は雨だ。

ちゃーちゃん(のはら)を、幼稚園に送る車中での会話が、何やら心に残るものだったので、書いておきたい。

 

「ちゃーちゃん、今日は雨だねー」

「雨ってやさしいよ」

「どうして?」

「お野菜を育ててくれるんやよ」

「そうか。じゃ雷は?」

「やさしいよ」

「どうして?」

「みんなを守ってくれるんやよ」

「へー。そうなんだ。じゃ太陽は?」

「やさしくないよ」

「えー?そう?太陽は大事じゃない?」

「太陽はおなかの中にあるんやよ」

 

のはらは、自宅出産だった。

4歳になった今も、生まれた場所で、寝起きしている。

ママのおなかから、人間が出てくるのを、お姉ちゃんたちは、股を覗き込むようにして見ていた。

その時のことは、誕生日など節々に話題になる。

そういう事が、影響しているのか、どうなのか分からないが。

のはらにとって、太陽はおなかの中にある。

ご飯が入る場所、痛くなったり、ぐーっと鳴ったり、命が宿る場所。

自分が生まれた場所。

 

「なるほど。そうかもね」

 

それからカーステのボリュームを少し上げて、二人で唄いながら、幼稚園に向かった。

 

 

逃げ人生

僕が最初に逃げ出したのはいつなんだろう。

中学校の頃、同級生が先生に反抗していた。僕も本当はそうしたかった。だけどできなかった。怖かった。自分が外れるのが怖かった。暴力が怖かった。その友達を心では支持しながら、自分は先生に従った。

その辺が思い出せる記憶としては、古いもので、本当はもっと小さいころから始まったと思われる。

それからは、受験から逃げ、卒論から逃げ、進路から逃げ、仕事から逃げ、やりたいことからも逃げ、何かと言い訳や、自分を肯定する理屈をこねながら、30後半に差し掛かろうという今も、現実から逃げ、小説の中に逃げ込もうとしている。

本当は自分ひとりでは何もできない。一人になれない。にやにやと作り笑いをしながら、同調し、群れから排除されないようにしている。

逃げている罪悪感からも逃れるために、言葉を駆使し、自分のことも欺こうとしている。もはや救いようもないくらい、言葉は僕を覆い隠してしまった。

この文章もそうかもしれない。

僕の体は、無数の言葉で覆われていて、皮膚は見えない。

下層部分は、もはや皮膚と同化しており、むやみに剥がすことは、つまり皮膚を剥がすその痛みを伴う。

時に、僕の嘘の言葉を剥がしてくれる人がいる。そういう人に触れた時、激しい痛みとともに、僕は死にたくなっているのだ。

では、どうすればいいのだろうか。どうすれば救われるのだろうか。

これからの人生、逃げずに生きるために、何をすればいいだろうか。

僕は本当は何が好きなのだろうか。

何がやりたいのだろうか。

何が嫌で、何が苦しくて、何が喜びなのだろうか。

僕はどんな人間なのだろうか。

 

こんな僕を小説の中に入れたら、僕はどのように動くのだろうか。

どんな物語を生きようとするのだろうか。

僕は今、もはや救いようがないほどに無残な姿になってしまった僕自身を、ICUの手術台の上に乗せ、オペを試みようとしてる。果たして手術は成功するのだろうか。

おっと、しかしその前に、メスはどこだ、まず、腹ごしらえするか、まあ今日は寝て、明日にするか。

そんなこんなで、一向に手術を開始しない。

気が付けば、右手に握られていたはずのメスは、言葉で覆われているのだった。

本当に救いようがない。

書かなければ死ぬ。

嘘をつけ。

お前は、生きるだろう。

無残な姿で、逃げまどいながら、薄笑いを浮かべながら。

今も、頭の中で、逃げ口上を探しているようにだ。

性懲りも無く、こうして言葉で覆い隠そうとしているようにだ。

つべこべ並べるな。

黙れ。

一人になれ。

孤独になれ。 

自分の本当のくだらなさを知れ。

支えられなければ

運動会疲れました。

家に帰ってからも、競争モードを引きずり、「早くする」という事を、にわかに競う子どもたち。

その姿は「ドベ」ばかりで傷ついた自分の自尊心を、取り急ぎ、取り戻そうとしているように、見えました。

 

運動場で競技していた、子どもらの表情は、「間違えないように」「置いていかれないように」という緊張の表情ばかりで、運動自体が、嫌いになりそうでした。

 

それでも、子どもは健気なもんで、帰宅後「運動」から面白さを取り戻すように、遊んでいました。

チューニングしなおすかのように、自分の体を、自由に動かし、心の充電もする。

魂に逆らった「身体」と「心」を、子ども自身が、再調整している。

そんな風に見えました。

 

近年、問題なのは、その再調整(あそび)の時間を、宿題とか習い事とか禁止事項ばかりで、奪われること。

その弊害が表れるのは、大人になってからで、「若者の自殺率が世界で一番多い国」の基礎の一部を、担っているのではないかと思えます。

 

大人として、僕にできる事は何だろう。

この時は、再調整を邪魔しないことかなと、見守っていました。

 

とは言っても、僕もまだ発展途上の人間で、僕にとっても、運動会などは辛い部分もあって。

僕自身、再調整が必要なのでした。

七輪を出して、気ままに火を焚き、ギターを弾いたり、焼いたりしていると、子どもらも妻もやってきて、一緒に夕食が始まるのでした。

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子どもらとの関わりを通して、僕自身も救われ、僕自身も救われることで、子どもも救われる。

社会的動物である人間にとって、家庭というものが必要なのは、そういう見えない調整というか、支え合いの機能を、家庭が持っていているからだなと、感じます。

だから、家庭が壊れると、社会的に生きることも困難になる。

とはいえ、家庭を保つのは、大変なことです。

家庭自体も、動き続ける社会と、密接に繋がっているし、一人の人格のように、あらゆるものに影響されて、動いていく複雑なものです。

努力だけでなんとかなる世界ではありません。

家庭だけに、そういう機能を依存してしまえば、事態はなお深刻になります。

社会全体で、家庭を支え、守り、また、家庭が無くても大丈夫なように補完する仕組みや、マインドセットを持たなくては、この国は、どんどん壊れていくのではないかと思います。

支えられなければ、誰だって支えることはできません。

 

 次の日は、誕生日会をやってくれました。

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なぜか、紙吹雪(笑)

 

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長女はタンブラーを、買ってくれました。

はじめて、おこずかいで、プレゼントを買う。

そういうことが、できるというのを試しているというか、体験したいという気持ちもありながら、僕が喜んで受け取るのを、とてもうれしそうに見ていました。

 

工作好きの次女も、いいのくれました。

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プログラムを作り、ケーキを作り、プレゼントを作り、司会進行。

祝うことが、とてもうれしそうな子どもたち。

祝うことで、自分の心に、ぐんぐん栄養を吸収しているような。

そんな嬉々とした姿でした。

僕自身は、こういうことが苦手で、祝うのも祝われるのも、喜び方が、分からない所があり、素直に喜べる妻を、羨ましく憧れて見ていました。

親子の関わりを通して、メンタリティみないなものも、ちゃんと子どもたちに伝わっているんだなと、思いました。

きっと僕ら夫婦だけでなく、幼稚園での経験や、関わってくれるたくさんの人の愛情も吸収し、こうやって実践しながら、自分のものにしようとしているんだと思います。

ありがたく思います。

 

子どもたちは、外部との繋がりの中で、何かを得ながら、それを家庭や、安心できる場所で試したり、また、家庭や安心できる場所で、得たものを外部で試しながら、育っているんだなーと思いました。

 

僕らだけでは、育ててこれなかったし、これからもそうなんだなと、思います。

家庭であれ、何であれ、安心して試せる場を用意してあげたいと思います。 

 

のはら

三女、のはらが産まれた時に、のはらをひざに乗せて作った曲。

 

youtu.be

 

のはら

作詞作曲 元島生

 

お日様が昇る ほんのすぐその前に

ママを起こして 君はやってきた

大きくなったら どんなことできるかな

綺麗な夕焼け 優しい笑顔

パパとママが 二人で見つけた

とても静かな 風の吹く場所

のはら そよ風をその胸に

のはら 風と唄ってる

 

パパとママがみんなと見つけた

とてもきれいな星の降る場所

のはら お星さまをその胸に

のはら 星と唄ってる

のはら お日様をその胸に

のはら 夢が詰まってる

愛が 集まってくる