元島生

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支えられなければ

運動会疲れました。

家に帰ってからも、競争モードを引きずり、「早くする」という事を、にわかに競う子どもたち。

その姿は「ドベ」ばかりで傷ついた自分の自尊心を、取り急ぎ、取り戻そうとしているように、見えました。

 

運動場で競技していた、子どもらの表情は、「間違えないように」「置いていかれないように」という緊張の表情ばかりで、運動自体が、嫌いになりそうでした。

 

それでも、子どもは健気なもんで、帰宅後「運動」から面白さを取り戻すように、遊んでいました。

チューニングしなおすかのように、自分の体を、自由に動かし、心の充電もする。

魂に逆らった「身体」と「心」を、子ども自身が、再調整している。

そんな風に見えました。

 

近年、問題なのは、その再調整(あそび)の時間を、宿題とか習い事とか禁止事項ばかりで、奪われること。

その弊害が表れるのは、大人になってからで、「若者の自殺率が世界で一番多い国」の基礎の一部を、担っているのではないかと思えます。

 

大人として、僕にできる事は何だろう。

この時は、再調整を邪魔しないことかなと、見守っていました。

 

とは言っても、僕もまだ発展途上の人間で、僕にとっても、運動会などは辛い部分もあって。

僕自身、再調整が必要なのでした。

七輪を出して、気ままに火を焚き、ギターを弾いたり、焼いたりしていると、子どもらも妻もやってきて、一緒に夕食が始まるのでした。

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子どもらとの関わりを通して、僕自身も救われ、僕自身も救われることで、子どもも救われる。

社会的動物である人間にとって、家庭というものが必要なのは、そういう見えない調整というか、支え合いの機能を、家庭が持っていているからだなと、感じます。

だから、家庭が壊れると、社会的に生きることも困難になる。

とはいえ、家庭を保つのは、大変なことです。

家庭自体も、動き続ける社会と、密接に繋がっているし、一人の人格のように、あらゆるものに影響されて、動いていく複雑なものです。

努力だけでなんとかなる世界ではありません。

家庭だけに、そういう機能を依存してしまえば、事態はなお深刻になります。

社会全体で、家庭を支え、守り、また、家庭が無くても大丈夫なように補完する仕組みや、マインドセットを持たなくては、この国は、どんどん壊れていくのではないかと思います。

支えられなければ、誰だって支えることはできません。

 

 次の日は、誕生日会をやってくれました。

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なぜか、紙吹雪(笑)

 

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長女はタンブラーを、買ってくれました。

はじめて、おこずかいで、プレゼントを買う。

そういうことが、できるというのを試しているというか、体験したいという気持ちもありながら、僕が喜んで受け取るのを、とてもうれしそうに見ていました。

 

工作好きの次女も、いいのくれました。

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プログラムを作り、ケーキを作り、プレゼントを作り、司会進行。

祝うことが、とてもうれしそうな子どもたち。

祝うことで、自分の心に、ぐんぐん栄養を吸収しているような。

そんな嬉々とした姿でした。

僕自身は、こういうことが苦手で、祝うのも祝われるのも、喜び方が、分からない所があり、素直に喜べる妻を、羨ましく憧れて見ていました。

親子の関わりを通して、メンタリティみないなものも、ちゃんと子どもたちに伝わっているんだなと、思いました。

きっと僕ら夫婦だけでなく、幼稚園での経験や、関わってくれるたくさんの人の愛情も吸収し、こうやって実践しながら、自分のものにしようとしているんだと思います。

ありがたく思います。

 

子どもたちは、外部との繋がりの中で、何かを得ながら、それを家庭や、安心できる場所で試したり、また、家庭や安心できる場所で、得たものを外部で試しながら、育っているんだなーと思いました。

 

僕らだけでは、育ててこれなかったし、これからもそうなんだなと、思います。

家庭であれ、何であれ、安心して試せる場を用意してあげたいと思います。