元島生

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物語を採用しない生き方~杉田水脈発言から~

「同性愛者の自殺率は、6倍も上がる」
それを笑って話す国会議員と取り巻き。
寒気と言うのか、嫌悪と言うのか、自分自身の負の感情によって自分の心が汚れていくような感じがした。
辛くて最後まで観るのに骨が折れた。
何人かの友達の顔が浮かんだ。

今回の杉田議員への抗議活動を「言葉尻をとって騒いでいる」と批判する人達がいるが、それは言い当てていないと思う。
僕も含め、反応している人たちの多くは、きっと言葉の裏にある、差別意識や、排除理論を見抜いている。

世界はお金によって統一され、人々は個に分断され、様々なことは多様化し続けている。信じるべき物語が無い時代に、僕らは共同性を失い、慢性的な鬱の状態になり、日々、むさぼるように自分を規定し起動してくれる物語(言葉)を探している。

しかし、言葉や物語も、消費の中に組み込まれていて、僕らはもはや、感動しなくなってきている。
より強い物語を求めて、人々はより過激で、分かりやすい思考に頼るようになるだろう。
僕はそれが怖い。その怖さと、気持ち悪さを、きっと見抜いていると思う。

どのような物語を信じるかは、自由だ。
しかし、その物語が、誰かを排除したり、深く傷つけたり、殺したりするかもしれないことには、注意を払いたい。
そのために、感性がいる。

いま僕らは、物語を離れて、感性に頼る必要がある。
できれば、どの物語も採用せず、いま、どこに生きているのかを、よく見る必要がある。
何にも頼らず、見れるようになる必要がある。

彼女達か笑ってしまうのは、人間を見つめる感性よりも、信じている物語を優先しているからだ。
だからなんの罪悪感もなく笑え、反省もできない。

それは「障がい者を殺すことが世界平和につながる」その物語を疑いなく信じて、実行に移し、いまだ反省できない若者と、質的には変わらない。

僕らはもっと賢くなろう。
物語に頼らないでよい生き方を、摸索しなければいけない。

いま、感性は、僕ら力の弱い市民が持てる、最大の武器だ。