元島生

文章・音源・詩・活動・いろいろ

初夢

 1月1日

正月の朝、起きぬけの布団の中で、ゆい(長女)とみき(次女)のケンカの仲裁をする夢を見た。

夢というより、イメージ。

みきが実家のテーブルで、宿題かなにか書いており、横でゆいが口を出して、喧嘩になっている。

詳細は忘れてしまったが、ユイが間違いかなにかを指摘した。その指摘内容について、ミキは反論している。反論されたことで、ユイも躍起になって反論し返している。

二人とも、本当の気持ちは言語化しないまま「本当はこっちが正しい」と正論をぶつけ、自分を正当化することだけに躍起になっていた。

僕は二人の間に入り、語りかける。

「ミキは今日は、自分でやって、自分で自信を付けたかったのに、出来ないって思わされたことが悲しくて怒ってるんかな。ゆいは、良かれと思ってやったことで、ミキが怒ったから、ビックリして怒っているかな。どうかな」

僕は意識的に、二人が本当の気持ちを言語化できるよう手伝おうと思った「もっと本当の気持ちをしゃべってもいいんだよ」と二人に言った頃には、僕の意識は、目覚めていた。

本当のことを言えたらいい。

布団の中で、新年だということを意識しながら考えた。

普段、あまりにも本当のことから遠ざかっているのかもしれない。

本当のことを言葉にするのは、ほんとに難しいと思う。

出来るだけ、本当に近いことを、話したり、書いたりしたい。

 

不器用な雪掻き道

僕の家に隣接する古い長屋には、高齢者の方が、数人暮らしている。

みんな、とてもいい人達で、我が家の子どもたちの、容赦ない喧噪にも「元気になるよ」と言ってくれ、助かっている。

家に一番近い部屋の、一人暮らしのおじいさんとは、窓越しによく話をする。

職人気質な感じで、凛々しく優しい人だ。

工具を持っているので、たまに借りにいく。

病気療養しており、様態はあまりよくなくて、たまに入院する。

そのたびに「なんかあったら頼む」と言っていく。

いつも気丈にしていても、やはり心細いのだと思う。

 

奥の部屋の、やはり一人暮らしのおばあちゃんは、たまに脱水機を借りにくる。

いつも子どもたちにケーキや果物をくれる。

子どもらの学習発表会も見に来てくれた。

 

ひっそりと暮らしている、真ん中の御夫婦も、子どもたちの姿を微笑ましく眺め、よく声をかけてくれる。

てるてる坊主を軒先に下げた時には、思わず声を出して「かわいい」と、とても喜んでくれた

 

立派な家が建ち並ぶ、住宅街の隙間。

まるで隠れるように、ひっそりと建つ長屋で、静かに暮らす人たち。

ふと、子どもらを見守ってくれるその目線は、とても静かで、温かい。

僕らは、そんな優しい目に見守られ、安心して子育てができている。

 

今年も雪の季節が来た。

大雪が降った夜。

窓から長屋の方を見ると、10センチほど積もっていた。

ふと、真ん中の部屋の玄関先に、おばあさんが立っていて、先の方を見ていた。

見てみると、おじいさんが、暗闇の雪の中を、杖を突きながら、ゆっくりゆっくり歩いていており、それを心配そうに見守っていた。

 

朝起きると30センチほど積もっていた。

僕は、長屋の、それぞれの部屋の入り口まで雪かきをして、仕事に向かった。

夕方頃、妻からメールがあった。

「長屋のご夫婦が、雪かきありがとうって、うどんくれたよ」

「逆に気を使わせたかな」

「喜んでたよ」

 

 数日後の日曜日、また雪が20センチほど積もった朝。

「雪かきしたい!」

と長女が珍しく言い出した。

しておいで、と言うと、雪用の服に着替え、スコップを持って、長屋の方へ向かった。

そして、先日僕がやったように、長屋の各部屋の入口から、道路まで雪を掻いていた。

実に根気強く、昼食をはさんで、やり切った。

面倒くさがりで、インドア派の長女は、雪かきなど、頼んでも普段はやってくれない。

この日も、自分の家はやらなかった。

しかし、長屋の雪掻きをやり切り、「楽しかった」と言った。

 

長女自身、自分にそんな力があったとは、知らなかったのではないだろうか。

道が出来ていくのが、うれしいようで、実に活き活きとやっていた。

こうやって子どもは、本能的に自分の力を引き出していくのかもしれない。

 

長女を動かしたのは「関わり」の力だったのではなかろうか。

親が人との関わりの中で、主体的にとった行動と、それに対する周囲の反応を受け取るのを、彼女なりに感じ取り、自分もその「関わり」を実践してみたのではなかろうか。

人のためならば、自分の力を試せたのかもしれない。

あれなら自分にも出来るかも、と思ったのかもしれない。

なんにせよ、達成感があったようだ。

助け合う機会があったことは、とても幸せなことだと思った。

子どもの成長にとっても、安心できる暮らし方という意味でも。

 

その晩、その長屋の地主の方が「すみませんね、雪かきしてもらったみたいで」といろいろとお礼をくれた。

地主さんも、とても良くしてくれる方で、いつも気にかけてくれ、お世話になっている。

僕は、地主さんの責任を追及する意図は、皆無だったし、雪かきの時、地主さんのことなど想像もしなかった。

しかし、近所の目やら、対面やら、地主さんは地主さんで、いろいろ大変なんだろう。

 僕がやりすぎるのも、良くないかなと思った。

 

その夜も大雪だった。

明日も、朝は雪かきかなと思い、寝た。

 

次の日の朝、カーテンを開けると、長屋の周りは、きれいに雪掻きがしてあった。

先に起きていた長女に「雪かきしてあるね」と言うと「うん。おじいさんがやったんじゃない」と言った。

しかし、おじいさんは、こんなに大がかりに雪掻きはできないだろう。

きっと地主さんだと思った。

 

子どもたちが作った、不器用な曲がりくねった雪掻き道は、きれいで完璧な雪掻き道になっていた。

 

それは、良い事のはずだが、 僕は、それを見ながら、少しだけ、寂しかった。

 

 

 

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これは愛かな

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【これは愛かな】

これが現実逃避なら
現実の方が100倍ましだな

朝も昼も夜も
あなたのことで胸が痛いから
 
きっとバチが当たったんだろう
神様は最も酷い罰を与えるために
あなたをよこしたんだろう
 
あなたが誰かと抱き合っているなんて
死んでしまいたい
これは愛かな
 
あなたが僕の方を向いてくれないなんて
死んでしまいたい
これは愛かな
 
あなたが隣で眠っていないなんて
死んでしまいたい
これは愛かな
 
でもあなたの幸せを邪魔するくらいなら 
死んでしまいたい
これは愛かな
分からない

すきま

youtu.be

 

すきま

 

唄のできない夜には   ひとり階段で

あなたのこと想いながら すきまを埋めていくの

 

何もほしくはないの  何もしたくはないの

何をためらってるの  何か感じさせてよ

 

私は幸せだけど   とても幸せだけど

ひとり階段で すきまを埋めているの

 

あなたは知らないふりして 私も知らないふりして

幸せな日々過ごしながら すきまを埋めていくの

 

 

 

変わったこと

「変わったことばっかりやるお父さんでよかったね~」

七輪をやっていた時、何気なく集まってきた近所の人に、言われた。

自分では、楽しんでるだけで、変わってる自覚は無かった。

写真を見返してたら、狭い玄関先で、それなりにいろいろやってたなーと思った。

でも、やはり変わってることでもなかった。

 

日本では、若者の死因の一位は自殺だ。

いろんな生き方や、価値観に出会う機会が少なくなっていることとも無関係ではない気がしている。

我が家の子供たちの日常さえ「変わったこと」と認識されるようでは、なかなか苦しい。

近所の人の言葉には「子供にとってそういうことが大事だよね」というニュアンスがあった。

ほんとはみんな分かってるのかもしれない。

 

今日、三女を自転車に乗せて、登園した。

途中で自転車とぶつかりそうになった。

相手のおじちゃんが「ごめんごめん。大丈夫?」と言葉をかけてくれた。

おじちゃんが行った後、三女は「おじちゃんえらいね」と言った。

どうして?と聞くと「やさしいから」

子どもは、どんな状況からも、ちゃんと本質を見抜きながら、学ぶ。 

恐れずに、もっといろんな「変わったこと」に触れさせたい。

 

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それだけ

いつも玄関先でやる七輪を、今日は、道路側に出してみた。
通り掛かりの人が、話していったり、炭を持ってきてくれたり、芋を持ってきてくれたり。
たくさん笑顔が通っていった。
子どもたちが、芋をくれたご近所さんの家に、お返しを届けたいと言い出し、届けに行った。
七輪を道路側に出すだけ。
それだけ。

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War is over now 台風の日に

情報過多の時代

孤立の時代

右か左か、正義か悪か

そういうことで、納得したくなる

その間にある、いろんなことを、汲む「余地」を奪われている

感受性は、言葉の中に閉じ込められている

批判する相手がいないと、自分が生きていていいと思えなくなっている

育児書がなければ、子どもが育てられなくなってきている

 

今、戦いがあるとしたら、感受性を守り育てる戦いだ

言葉ではない言葉で、語ろう

批判の力を、信じるという力に変換しよう

今こそ唄おう

火を使うことで、文明を発達させた我々の祖先は、きっと初めは火に魅せられたのだ

感じることを、取り戻そう

そういう日常が、僕らを、ゆっくり変えていくと信じよう

 

届けたいと思って、曲を作ったのは初めてです

選挙の日。夜中に、大きな音で作りました

外は台風で、雨と風の音に守られて、曲は出来ました。

届くといいなと思います。

 

youtu.be

 

War is over now 台風の日に

 

もう これ以上は
いらないさ 何もかも
あー うるさいな
知らないさ 本当のことなんて

街は 今以上に
幸せ求めてる
まるで それ以外に
大切なことなどないような顔して

いつか 僕たちが
戦争を 選んでも
ああ 信じたい
僕らには 変わる力があるのさ

悪い人なんて 本当はいないのさ
僕は今以上に 僕らのこと信じたい

とても酷い雨だな
諦めそうになるな
また少し心は ぐらついて
言葉は誰かを
また突き刺そうとしている
言葉が僕らの世界を生み出している
だから僕らは唄うのさ
何度でも諦めないのさ
心の底で唄うのさ もう一度
war is over if you want it
war is over now