元島生

文章・音源・詩・活動・いろいろ

ながれついて灯る

年末に砺波市の宮の森カフェでやったライブ「ながれついて灯る」の動画。

11歳の小春ちゃんとのコラボ。

僕は小春ちゃんの唄の大ファンで、いつか一緒に唄いたいと思っていたので、とてもうれしかった。

 

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この日のイベントは、tatacraftの流木ライトの中で静かに音を出して、一年を終わろうというもの。

サックスの晶さんや、ギターいしかわひろき、ジャンベの航平、ダンスは太郎くん、かたつむりcafeや、古本なるやさんにも出店してもらい、とてもゆったりしたイベントになりました。

楽しかったー

 

こちらは太郎くんとのコラボ。
いかすダンサーです笑

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tatacraft.jimdo.com

ある重み

1月5日

新年最初の仕事は広島。
休んだ後の仕事は、気がつくことが増える。
忙しいと荒む。気づくこと自体が減る。
別世界に身をおく時間が、大事なのかもしれない。
今年は、面白いことをしたい。
つまらないことはしたくない。
 
夜は、ゲストハウスに泊まった。
併設されたバーでは、何人か飲んでいたが、交るのはやめといた。
そこに傾ける種類のパワーが出なかった。
挨拶程度、静かに寝て、朝食を食べて、静かに出た。
 
1月6日 
午前中は空いたので、美術館に行くことにした。
美術館は公園の中にあり、入り口がどこか迷った。
同じく公園内にある図書館から、おじいちゃんが出てきたので、場所を聞いた。
何を見るのかと聞くので、歌川広重展だと言うと、江戸時代に興味があるなら、来月こんな展示もあると教えてくれた。
富山から来たので、来月は行けないというと、富山の話に。
仕事の話から社会の話もする。
たった2〜3分の短い時間だったのに、内容が濃く、ふと生きていることが軽くなるような時間だった。
ゲストハウスの用意された場に参加するのは、ある重みを感じた。
こういう何気無い会話はいい。
日が差すように、何気なく、生きていることを肯定される。
スマホがあれば、道を聞く必要がなくなる。
こういう「関わり」は減るだろう。
人の生活はどう変わるだろうか。
おじいさんは「今の高齢者が死んだら人口はぐんと減るぞ」と言った。
なんとなく耳に残った。
 
美術館。
マリーローランサンの女性の絵が寂しくて綺麗だった。
彼女の鎮静剤という詩は、高田渡も歌っていて、好きな歌。
絵は初めて見たが、よかった。
シャガールもよかった。青い世界。温かくて優しい。
歌川広重はオシャレでキャッチーで入り込めた。
当時、「虫聞き」という風習があって、秋に、花見よろしく虫の音を聞きながら、外で飲み食いをしたそうだ。その絵。
大晦日に、ある大木に、全国の稲荷神社から狐が集まり、火を灯すという狐火の絵。
祭りの様子や、吉原の見返り柳の絵。
当時の世界に吸い込まれた。
歌川広重は世界が好きだったのではないかなと思う。
この世界に行ってみたくなる。
 

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根付け展というのもやっていて、これが素晴らしかった。
江戸時代、着物にはポケットなかったため、巾着やタバコ入れを帯に紐でくぐらせて持ち歩いた。その紐が落ちないように留め具として、紐の先に付けるのが根付け。
掌に収まるサイズの、象牙や木を彫って趣向を凝らした彫刻作品。
その発想力、表現力に驚く。
落語の噺に、彫刻家や画家の作品が、実際に動き出して、人間世界を助けたりする噺がみられるが、この根付け達を見てると、動き出しそうで、本当にそういう事があったのではないかと思えた。
これを身につけ、歩く人たち。
日本人はこんなにも精神性豊かな人たちだったのだと思う。
これが失われているのは明らかで、寂しい。
表現するということを、大事にしたい。
もっと、いろんなものを見たい。 

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  【 鎮静剤 】
 マリー・ローランサン 
 堀口大學 訳
退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。
よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。

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マルク・シャガール「私のおばあちゃん」 

神は死んだか

1月2日

映画もののけ姫を、導入部分だけ観る(子供らが怖がるので中断)

恨みを持ったことで、祟り神という魔物になってしまった猪が、人間の村を襲う。

主人公のアシタカは、敬意をもった言葉で猪を鎮めようとするが、猪は止まらず、やむなく矢を射って殺し、その代償として、自身の片腕に祟りを貰ってしまう。

シーンは村の長たちの話し合いの場面。

長老は、アシタカに自分の運命を聞く覚悟はあるかと問い、あると答えたアシタカに、その祟りは、やがて身体を蝕み、そなたを殺すだろうと告げる。
「誰にもさだめは変えらなれない」

「ただ、待つか赴くかは変えられる」

猪が祟り神になってしまった原因である、銃の弾を見せ
「西の国で不吉な事が起こっているんだよ。そうでなければ猪が祟り神などになるはずがない」

「その地に赴き、曇りなき眼で見定めるなら、何か変えられるかもしれない」と言う。
そして、アシタカは村を出て、旅に出て、物語は動き出す。

ここで描かれている、村人の人生観や世界観には、学ぶものが多い。

人々は、自分たちの力では変えられない、大きな力の中で生かされている感覚を持っている。

同じ流れの中で生きる他の命への敬意が、土台にありながら、その生かしあいのバランスをもって生きていれば、おかしなことは起きないはずだという、世界への信頼感覚を持っている。

それは実感としての強いニュアンスがある。

本当にこのような世界観の中で、生きていた人たちがいたかは、分からないが、他の命と密接にやり取りがあった時代だ。

今の僕らには見えないものが、たくさん見えたではないかと思う。

感知できたのではないかと。

八百万の神という感覚は、今の時代を生きる僕にも、根底に流れている。

当時は、そこら中に「神」を感知する感性が必要だったのかもしれない。

そして、そんな世界では、人間として生きるための思想や哲学を、今よりも明確に持っていたのかもしれない。

2500年前に書かれた仏典や、縄文の遺跡を見ても、同じように思う。

当時の人たちは、知っていたんだなーといつも思う。

 

長老は、運命を変えようとすることではなく、「曇りなき眼で見る」ことの大切さを伝え、最後に「掟に従い、健やかにあれ」とアシタカを送り出す。

何かを変えようとせず、謙虚に、自分自身の行いや、思考をこそ、曇らせない事が、大事だと。

しかし、物語は、人間が自然を制圧して、「神」を殺してしまいクライマックスを迎える。

神はいなくなったのだろうか。

 

昼からは、甥っ子が、神社で、無形文化財の踊りを舞うとのことで、みんなで観に行った。
戦国時代から、その土地に受け継がれている舞で、戦に向けて、大衆を鼓舞するために、時の権力者が、作らせたものだという。
太鼓のリズムと、派手な衣装と、舞で、戦いを表現していた。
そこに言語はなく、音やリズムや動きだけで、高揚を作り、心を動かす。

こうして、民意を操作したのだろう。

目的はどうあれ、当時はまだ、見えないものを感知する力が、大衆の中に強くあったのかもしれないと、その舞を見ながら思った。

神は生きるためのものから、利用するものへ変わっていったのかもしれない。


その夜、テレビをつけると「都庁爆破」というドラマをやっていた。

東京都庁がテロリストに乗っ取っられ爆破されるもの。

派手な爆破シーン大げさな演技。白々しい作為。

ひどいもんだった。

正月のゴールデン枠で、これをやるという事は、もしかしたら、何らかの民意誘導的な側面もあるかもしれない。

或いは、単なるエンターテイメントか。

どちらにしても、ひどく悲しいものがあった。

 

朝からの文脈で、語るなら、もう神はいなくなりつつあるのかもしれないと思った。

自分の命を支える神を、感知できなくなった時代に、語られるのは、正義だ悪だ右だ左だ。

心を支えるものがないのだ。

秋葉原や相模原の事件を思う。

 

感性を大事にしようと思った。

僕自身、感性を取り戻す生き方をしなければと。

 

人間は、火を使うことによって文明を手に入れたが、動物にとって脅威である火を、なぜ人間だけが扱うことができたのか。

それは、勇気か、好奇心か。

僕は動物行動学者のライアルワトソンの説が好きだ。

人間は火に感動したのだ。

 

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初夢

 1月1日

正月の朝、起きぬけの布団の中で、ゆい(長女)とみき(次女)のケンカの仲裁をする夢を見た。

夢というより、イメージ。

みきが実家のテーブルで、宿題かなにか書いており、横でゆいが口を出して、喧嘩になっている。

詳細は忘れてしまったが、ユイが間違いかなにかを指摘した。その指摘内容について、ミキは反論している。反論されたことで、ユイも躍起になって反論し返している。

二人とも、本当の気持ちは言語化しないまま「本当はこっちが正しい」と正論をぶつけ、自分を正当化することだけに躍起になっていた。

僕は二人の間に入り、語りかける。

「ミキは今日は、自分でやって、自分で自信を付けたかったのに、出来ないって思わされたことが悲しくて怒ってるんかな。ゆいは、良かれと思ってやったことで、ミキが怒ったから、ビックリして怒っているかな。どうかな」

僕は意識的に、二人が本当の気持ちを言語化できるよう手伝おうと思った「もっと本当の気持ちをしゃべってもいいんだよ」と二人に言った頃には、僕の意識は、目覚めていた。

本当のことを言えたらいい。

布団の中で、新年だということを意識しながら考えた。

普段、あまりにも本当のことから遠ざかっているのかもしれない。

本当のことを言葉にするのは、ほんとに難しいと思う。

出来るだけ、本当に近いことを、話したり、書いたりしたい。

 

不器用な雪掻き道

僕の家に隣接する古い長屋には、高齢者の方が、数人暮らしている。

みんな、とてもいい人達で、我が家の子どもたちの、容赦ない喧噪にも「元気になるよ」と言ってくれ、助かっている。

家に一番近い部屋の、一人暮らしのおじいさんとは、窓越しによく話をする。

職人気質な感じで、凛々しく優しい人だ。

工具をたまに借りている。

病気療養しており、様態はあまりよくなくて、たまに入院する。

そのたびに「なんかあったら頼む」と言っていく。

いつも気丈にしていても、やはり心細いのだと思う。

 

奥の部屋の、やはり一人暮らしのおばあちゃんは、たまに脱水機を借りにくる。

いつも子どもたちにケーキや果物をくれる。

子どもらの学習発表会も見に来てくれた。

 

ひっそりと暮らしている、真ん中の御夫婦も、子どもたちの姿を微笑ましく眺め、よく声をかけてくれる。

てるてる坊主を軒先に下げた時には、思わず声を出して「かわいい」と、とても喜んでくれた

 

立派な家が建ち並ぶ、住宅街の隙間。

まるで隠れるように、ひっそりと建つ長屋で、静かに暮らす人たち。

ふと、子どもらを見守ってくれるその目線は、とても静かで、温かい。

僕らは、そんな優しい目に見守られ、安心して子育てができている。

 

今年も雪の季節が来た。

大雪が降った夜。

窓から長屋の方を見ると、10センチほど積もっていた。

ふと、真ん中の部屋の玄関先に、おばあさんが立っていて、先の方を見ていた。

見てみると、おじいさんが、暗闇の雪の中を、杖を突きながら、ゆっくりゆっくり歩いていており、それを心配そうに見守っていた。

 

朝起きると30センチほど積もっていた。

僕は、長屋の、それぞれの部屋の入り口まで雪かきをして、仕事に向かった。

夕方頃、妻からメールがあった。

「長屋のご夫婦が、雪かきありがとうって、うどんくれたよ」

「逆に気を使わせたかな」

「喜んでたよ」

 

 数日後の日曜日、また雪が20センチほど積もった朝。

「雪かきしたい!」

と長女が珍しく言い出した。

しておいで、と言うと、雪用の服に着替え、スコップを持って、長屋の方へ向かった。

そして、先日僕がやったように、長屋の各部屋の入口から、道路まで雪を掻いていた。

実に根気強く、昼食をはさんで、やり切った。

面倒くさがりで、インドア派の長女は、雪かきなど、頼んでも普段はやってくれない。

この日も、自分の家はやらなかった。

しかし、長屋の雪掻きをやり切り、「楽しかった」と言った。

 

長女自身、自分にそんな力があったとは、知らなかったのではないだろうか。

道が出来ていくのが、うれしいようで、実に活き活きとやっていた。

こうやって子どもは、本能的に自分の力を引き出していくのかもしれない。

 

長女を動かしたのは「関わり」の力だったのではなかろうか。

親が人との関わりの中で、主体的にとった行動と、それに対する周囲の反応を受け取るのを、彼女なりに感じ取り、自分もその「関わり」を実践してみたのではなかろうか。

人のためならば、自分の力を試せたのかもしれない。

あれなら自分にも出来るかも、と思ったのかもしれない。

なんにせよ、達成感があったようだ。

助け合う機会があったことは、とても幸せなことだと思った。

子どもの成長にとっても、安心できる暮らし方という意味でも。

 

その晩、その長屋の地主の方が「すみませんね、雪かきしてもらったみたいで」といろいろとお礼をくれた。

地主さんも、とても良くしてくれる方で、いつも気にかけてくれ、お世話になっている。

僕は、地主さんの責任を追及する意図は、皆無だったし、雪かきの時、地主さんのことなど想像もしなかった。

しかし、近所の目やら、対面やら、地主さんは地主さんで、いろいろ大変なんだろう。

 僕がやりすぎるのも、良くないかなと思った。

 

その夜も大雪だった。

明日も、朝は雪かきかなと思い、寝た。

 

次の日の朝、カーテンを開けると、長屋の周りは、きれいに雪掻きがしてあった。

先に起きていた長女に「雪かきしてあるね」と言うと「うん。おじいさんがやったんじゃない」と言った。

しかし、おじいさんは、こんなに大がかりに雪掻きはできないだろう。

きっと地主さんだと思った。

 

子どもたちが作った、不器用な曲がりくねった雪掻き道は、きれいで完璧な雪掻き道になっていた。

 

それは、良い事のはずだが、 僕は、それを見ながら、少しだけ、寂しかった。

 

 

 

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これは愛かな

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【これは愛かな】

これが現実逃避なら
現実の方が100倍ましだな

朝も昼も夜も
あなたのことで胸が痛いから
 
きっとバチが当たったんだろう
神様は最も酷い罰を与えるために
あなたをよこしたんだろう
 
あなたが誰かと抱き合っているなんて
死んでしまいたい
これは愛かな
 
あなたが僕の方を向いてくれないなんて
死んでしまいたい
これは愛かな
 
あなたが隣で眠っていないなんて
死んでしまいたい
これは愛かな
 
でもあなたの幸せを邪魔するくらいなら 
死んでしまいたい
これは愛かな
分からない

すきま

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すきま

 

唄のできない夜には   ひとり階段で

あなたのこと想いながら すきまを埋めていくの

 

何もほしくはないの  何もしたくはないの

何をためらってるの  何か感じさせてよ

 

私は幸せだけど   とても幸せだけど

ひとり階段で すきまを埋めているの

 

あなたは知らないふりして 私も知らないふりして

幸せな日々過ごしながら すきまを埋めていくの