元島生

文章・音源・詩・活動・いろいろ

書けば書くほど

f:id:motoshiman:20170511071422j:plain

書けば書くほど、書けるようになる。

読めば読むほど、読めるようになる。

若いころに読めなくて、諦めていた本が、スラスラと読めた。

書けないと諦めていた物語が、スラスラと書けた。

きっとやれないことはない。

やりはじめれば、これから家だって建てられるし、ピアノだって弾けるようになる。

飛び込む勇気と、無心がほしい。

歳をとると出来ない事が増えるのは、余計な事が増えるからだという気がする。

無心になるのが難しくなる。

いつまでもガキで、頼りなく、図々しく、バカバカしいが。

それでいい。

もっと無心になりたい。

 

 

心に太陽を 

心に太陽を 

作詞作曲 元島生

苦し紛れの嘘は  ドブに落ちて 川を流れてしまって

海から雲になって  雨を降らして 今 僕の頬を濡らした

誰かを恨むなら 深い森に迷い込んでいくようで

誰かを憎むなら  底なし沼に いつの間にか 

だから

心に太陽を 雲を晴らして 全部忘れてしまって

心に太陽を 雲を晴らして 全部無くしてしまって

「生きていく」ということは 一人ぼっちで歩いて行くということで

例えばこれから 暗い闇に突き落とされてしまっても

あの雲の上には 太陽がしっかりと控えているからさ

雨だろうが 風だろうが 闇だろうが 地獄だろうが 行くのさ

心に太陽を 雲を晴らして 全部忘れてしまって

心に太陽を 雲を晴らして 闇を晴らしてしまって

心に太陽を 風を吹かして 全部無くしてしまって

心に太陽を 全部忘れて 全部忘れて 歌って

 

 

子守ストレス

子守は疲れる。

散らかすわ、ケンカするわ、人のせいにするわ、イジワルするわ、言い訳するわ、飛び出すわ、ケガするわ。

こっちはというと、イライラするわ、ハラハラするわ、怒るわ、悲しいやら、抑えたり、抑えきれんかったり。

ほとほと、疲れ果てて、部屋に籠る。

しかし、子どもはなんのその。

ケンカして、泣いてたかと思うと、次の瞬間には、笑いあっている。

怒られて、泣いていたかと思うと、すぐにケロっと、話しかけてくる。

僕ばかりが、イライラを、修正出来ず。

疲れを、回復出来ず。

沈んだまま。

話しかけられても、空返事なんかして。

目を開けるのも、億劫なほどで。

本来、子どもは子どもで、勝手に遊んでおればよいので、子守とは、多大なストレス。

あまりにも、世界が違うのだから、遊んでる時くらい、別世界でよい。

放っておいてよい環境が、実はあまり無い。

なぜこんなに疲れているか、書けば分かるかなと思ったけど、疲れすぎて思考が働かん。

僕自身楽しめる時もあるが、絶望的に疲れる時もある。

何やろ。ようわからん。

 

小さい朝

最近は、まだ薄暗い時間に起きる。

冷たい水で顔を洗い、洗濯機を回して、みそ汁を作っておく。

そうして部屋に引っ込んで、ストーブに薬缶をかけ、こたつに入る。

パソコンを立ち上げ、文章を書いたり、本を読んだりする。

お湯が沸いたら、コーヒーを淹れる。

ゆっくり飲みながら、また書いたり読んだり、たまに、ギターを弾いたりする。

チッチッチと鳥の声。シャーっと水の音。

ドタドタ、バタバタ、着替えなさーい。

音が増える。

僕はカタカタ。

ノッていたら、朝食も食べずに篭る。

「行ってきまーす」に「はいよー」と返事をする。

そして家は、静かになる。

僕は部屋を出て、洗濯物を干し、ゆっくり着替えて、出勤する。

いつもの朝。好きな時間。

 

今日は少し違った。

パソコンをカタカタ、本をふむふむ、ギターをポロポロ。

そんな僕の向かいに、長女が座った。

歌詞をふむふむ、歌をラララー、宿題カリカリ。

やがて、みそ汁とごはんと人が、運ばれてきて、ぺちゃくちゃ、もぐもぐ、ガヤガヤ、ワヤワヤ、わはは、わはは。

僕は黙々と書き続けていたが、やがてパソコンを閉じ、ぺちゃくちゃ、もぐもぐ、一緒に笑ったりした。

そしてやがてまた、静かになった。

部屋を出ると、洗濯物は干してあった。

僕はゆっくり着替えて、出かけた。

 

いい時間だったなーと、ふと考える。

朝の時間を一緒に過ごせるのは、あと何年あるだろう。

その小さな時間が、心に残していくものは、なんて尊く、大きいのだろう。

日々はなんて無自覚に、消えていたのだろう。

明日もまた、小さい朝が来る。

子どもらが大人になって、僕らの元を離れても。

彼女たちの朝は、毎日やってくる。

その朝が、幸せであってほしいと思う。

明日も、小さい朝を大切にしよう。

その時間が残すものが、ずっと続きますように。

冷たい水や、キラキラの光や、温かい味噌汁や、洗濯機の音や、コーヒーの匂い。

ドタドタ、バタバタ、ぺちゃくちゃ、もぐもぐ、ガヤガヤ、ワヤワヤ、わはは、わはは。

 

 

f:id:motoshiman:20170420085350j:image

球根 塔和子

球根  塔和子

 

埋められた球根は

土と水と太陽にいざなわれて

のっぴきならないばくはつを遂げる

私はいま

私をとりまいている

土の手ざわり

水の手ざわり

陽のてざわりをたしかめたしかめ

土の中にある球根

全部をかけて

花になるのを息をひそめて待つもの

どんなに

気をもんでももまなくても

来るだろうその日

私は

うまく咲くことが出来るか出来ないか

いらざる知恵にさいなまれ

いじくりすぎる

まがった球根

 

塔和子「記憶の川」より

 

塔和子は元ハンセン病の詩人(1929年 ‐2013年)

当時日本は先進国入りをするために、路上生活者やハンセン病者を一掃。

全国のハンセン病者を強制的に終身隔離し、その政策を正当化するために、意図して強烈な差別を国民に植え付けた。

ハンセン病が感染力もほとんどなく、薬で治る病気だと知りながら、何十年と隔離政策は続いた。

断種や隔離部屋、ハンセン病者をこの世から消すという、非人間的な環境。人権侵害。

親族への差別を恐れ、死んだことになっている人達も多い。自殺においては言うまでもない(療養所で名前さえもない骨壺をたくさん見た。僕が訪問した当時500人以上が住んでいた療養所は、誰一人いないかのように静かだった。その静けさは忘れられない)

和子も13歳で家族と離れ、施設で生活した。

療養所に送る時、父が一緒に身投げしようかと言ったそうだ。同じ父として身を切られる思いがする。

小泉首相控訴を断念し、元患者ら原告が全面勝訴したあの歴史的国賠訴訟の時、「私は興味ない」と言ったそうだ。

彼女の詩を読んでいると、その事に頷ける。

彼女は命をとことんまで見つめたのではないか。過酷な環境にいながらも、それでも湧き上がる感情、自分という人間の奥の奥、悲しみの奥の奥、その中に「真理」を掴もうとした。言葉によって掴もうとした。

そして、そのことによって彼女は生きのびたのではないかと思う。

1人の闘いだったし、1人の喜びだった。しかしそれは繋がりの拒否ではなく、魂の繋がりの希求だったのではないか。

自分の外ではなく、中に中に。

社会ではなく、真理に真理に向いた。

だからではないかと思える。

 

球根。好きな詩。

僕もまたいじくりすぎて曲がっている。

土の手ざわり、水の手ざわり、陽のてざわりを感じていればいい。

所詮ぼくらは、のっぴきならない爆発によって、生かされているにすぎない。

 

塔和子の詩には、真理をそっと教えてくれる詩がたくさんあります。

たまに紹介したいと思います。