夜の自転車
頭が痛い。
せっかくの休日を、一日寝て過ごした。
もう2~3週間、ぐずぐずと体調が悪い。
昨日はなんとか持ち堪えたが、今日はダメだった。
目覚めの瞬間に、ダメなのが分かった。
気がダメなのだ。
先週、九州は豪雨で、大きな被害があった。
朝、テレビをつけると、床下浸水の映像が流れていた。
「あ、泣く。」そう思って、チャンネルを変えたが、どこのチャンネルもそのニュースで、涙を止めるのに間に合わなかった。
東日本大震災以降、映像が苦手になった。
一度つながった回路は、壊れてはくれない。
僕でさえそんな有様である。
娘のことを思う。
東日本大震災の1ヵ月前に生まれた次女は、もう6歳になった。
ちょっとしたことで、これでもかと落ち込んだり、多動で落ち着かない次女の性質は、震災の影響を、間接的に受けていると思っている。
彼女の脳の基礎を作る時期、僕ら家族も、長い余震の中にいた。
大切な時期を、掌の中で大事に包んであげられなかった。
最近は、こうした影響を、娘のみならず、いたるところに見つける。
あらゆる時代の震災、戦災、事件、暴力、それらは世代や空間を超え、誰かの人生に影響を与えている。
子どもが何等かの問題行動をしているとして、その家族の歴史を聞いていくと、2世代前くらいに、大変な被害にあっていたり、日常的な暴力があったりすることがある。
ここ数年の度重なる震災は、たくさんの影を落とすだろう。
目に見えない影だ。たくさんのやさしさが必要になる。
誰の人生も、その人が自分だけで作ったのではない。
生まれる前から、あらゆる影響下にあり、それは一日も休まることなく続く。
夕食中、次女が明日は学校に行きたくないと言った。
最近は、休み明けの前日にこうなる。
朝になると、お腹が痛いと泣き出し、休ませることもある。
ストレスホルモンの分泌が活発な次女は、休みの日にうまく発散できないと、こうなる。
夕食後、自転車で夜の散歩に行くかと誘うと、うなずいた。
後ろに乗せると、うれしそうだった。
「どこまで行く?」と聞くと
「行けるとこまで」というので
じゃ、学校まで行ってみるかと、いつもの通学路を通って学校まで行った。
次女はいつになく、たくさんしゃべりだした。
自分をかわいがってくれる高学年の子がいることや、女の子で仲良くできる人があまりいないこと、ここで誰かが何か拾ったとか、登下校のあれこれ。
いろいろ話してくれた。
僕は、うんうんと、聞いた。どう思ったのとか。へーとか。
どれも初めて聞く話だった。
普段いかに娘の話を聞いてないか、思い知らされた。
次女は溜まっていたものを出すように、喋り続けた。
家に着くころには、すっきりした顔で、風呂に入り、絵本を読んでもらっていた。
ランドセルから、歌の教科書を出し、どれが好きか話してくれた。
次女は話すことで、自ら回復したようだった。
しかしそれは、彼女が意図してそうしたのではない。
彼女の中にある魂が、治癒の方法を知っていたという感じだ。
どういうことを話せば充電されるか、魂が知っているようだった。
そして、僕の魂も僕の治癒の方法を知っていたのだろう。
夜風に吹かれ、娘の話にうなずきながら、いつの間にか頭痛は消えていた。
こうやって癒しあうということが、あるのだろう。
娘は自分を助けるような顔をして、僕を助けたのかもしれない。
それは考えすぎだろうか。
みな穏やかに寝静まった。
部屋で一人、先ほどまでのことを思い出している。
日々は目まぐるしく過ぎる。
たまにこうして、大事な瞬間を捕まえたい。
そう思いながら書いている。
夜は涼しい風を部屋に運んでくる。頭痛はもう感じない。
小さく、虫の鳴く声がする。
虫だって、誰に教わったわけでもないだろうに、鳴き方を知っている。
僕もまた、誰に教わったわけではないが、それに耳を澄ましている。