友人からの手紙
新しいCDありがとうございました。
自分の心情に馴染んでくれる曲ばかりで、いつも大切に聴いています。
こちらの方は相変わらずですが、最近も妻が仕事を終え、家に帰ってきて辛い思いを抱えながら話をする時があります(彼女は彼女なりの現実をサバイヴしています)。
そんな時、僕は小さな音で元島さんの曲を掛ながら話を聴いたりします。
僕たちは大海に投げ出され、二人でもがいているようなものなのかもしれません。
僕は妻の話を聴き、苦しみを受け止めながら、共に深く海に沈み込んでいく感覚になります。
妻の苦しみは良く分かります。だからこそ僕もずっと深く沈み込んでいく感覚になります。
でも二人揃って、身も心も全て沈みきってしまう訳にはいかないのです。
もがきながらでも水面から何とか顔を出し、息を吸い、呼吸をして、生きていかなくてはなりません。
だからそんな時、僕は何となく意識を二つに分けるようにしています。
一つは苦しみに寄り添いながら深く沈んでいく意識、もう一つは水面から顔を出し、沈みきってしまわないように浮かぶ意識です。
その時僕にとって元島さんの曲は、水面に浮かぶ"ブイ"のような役割を果たしてくれます。
僕は波に揺られ、沈み込んでいきながらも、同時にそれに捕まり、何とか浮かぶ力を保って、呼吸をしているのです。
もがきながらも、そこには生きていくことの真実が一掴み含まれているように思えるのです。
感性を摩耗させることではない、痛みを感じなくなることではない、痛みを感じながらも、揺れながらも、沈みながらも、生きていくのだ。
この曲を聴きながら、僕はそんな気持ちになっています。
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歌は不思議だ。歌詞ということではなく、曲ということではなく、伝わる何かがある。
僕にとってみても、歌うことはブイの役割をしたり、沈み込むための錘だったりする。
揺らすための風だったり、死ぬことだったり、生きる事だったりする。
言葉もまた不思議だ。
書いた言葉ではなく、言葉を超えたところで、何かが伝わるものだ。
僕はこの手紙に、歌のように流れるものを聴く。
たまにふと眺めてみたりする。